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男は、シズエを連れて市役所に行った。
「本人の希望が聞き入られないのはおかしい」
「キーパーソンは娘さんです。市としてもどうしようもないのです」介護サービス課の吉田は気の毒そうに言った。
「そんな馬鹿なことがあり得るのか」男は葉子に聞いてきた。
葉子は今までの経験を語った。住み慣れたT市で暮らしていきたいと希望する、八十三才になる利用者が葉子の担当だった。一人暮らしの利用者は目も悪くなり、郵便物が来るたびに葉子を呼んだ。紛失物がでるたびに葉子を呼んだ。ヘルパーを週一回入れ、お使いと布団干しなどを頼んだ。入浴のためにデイケアを週に二日、利用していた。
「今日使った障害者手帳がない」と連絡が入る。朝の出来事から始まり、帰宅までの内容を聞くだけで一時間かかってしまう。葉子は駆けつけ、利用者の納得のいくまで探した。
病院に確認の電話を入れ、薬局に確認の電話を入れ、タクシー会社に確認の電話を入れ、
それでも見つからなかった。
「再発行できますから、安心してください」葉子は利用者に告げた。
「ただ、思わぬところから見つかりますから一週間だけ待ってください」
ヘルパーが布団干しをすると、その間から障害者手帳が見つかった。
以前、一人暮らしの姉を心配する弟から、部屋は空いているし一緒に住もうと連絡が入
った。ただ、弟の嫁が、
「お姉さんはいいけど、荷物はだめ」と言ったため、利用者は腹を立てて同居しなかった。
利用者の家の半分は、他人から見るとがらくたに覆われていた。その弟も亡くなり、利用者の身近な血縁は群馬の姪とその母に当たる要介護状態の利用者の姉だけになってしまった。
群馬に住む姪が、
「自分も年でどうなるか分からない。叔母を群馬に呼びたい」と葉子に連絡が入った。葉子もそれが一番いいだろうと判断した。
「ここにいたい。助けて。望月さん」利用者は葉子にすがってきた。
「姪御さんの意見も聞かなくてはなりません」葉子は言った。
「なんと言ってもおばさん。この人達は、お金で来ているのよ。最後に面倒を見るのは私なのよ」姪は言った。
利用者は、執着していた一切の思い出の品を処分してT市を去った。群馬の姪の知り合いの施設に入ったと聞く。
「年寄りの希望は、現実から離れたわがままも多い。いちいち聞いていたら身が持たないこともある」葉子は男に告げた。
「私もあなたと山口さんの同居が不安だ。本当に一生面倒を見ることができるのか」
「君はバランス感覚のある人だと思った。もし、山口さんが僕と一緒に暮らしたいと言って、それがうまくいかなくなったとしても、それは山口さんの責任だ」
「だったら弓子さんに任せた方がいい」
「女は後から、青春を返せとか、金を返せとか言ってくる。さんざん楽しんでおきながら。さんざん僕を利用しておきながら。どうして、いまさら何の損もないのに僕をじゃまにする。弓子が山口さんの面倒など見ないことくらい知っているくせに」
「弓子さんは恩人でしょう」葉子は男を諭した。
「まだ、誤解している。逆だよ。僕が弓子の恩人なんだよ。恩知らずは向こうなんだ」男は言った。
「何とか話し合いの機会をもてないかしら。あなたと弓子さんで」
「君もおかしな事ばかり言う。弓子と話すなと言ったり話し合えと言ったり」
「状況が変わったのだからしょうがないでしょう」葉子は弁解した。
「僕は、後藤弓子さんや後藤安男さんと話し合いたいと何度も言っているのに、二人とも会ってくれないんだ。亭主は僕のことをストーカーだと言っている。着信履歴を調べろと言ってやった。僕からは電話一本入れていない。喧嘩ではなく落ち着いて話を聞いてくれたのならあんな態度も取らないよ。向こうが僕を無視し続けるんだ。ばあさんや君に嫌がらせをするばかりだ。あんなまねしないで、僕と落ち着いて話し合ってくれれば、僕だって、出ていくよ。知らない仲じゃないんだから。今回だって事前に僕や君に電話を入れるのが当たり前だろう。そうしてくれていたら、こんなにも意地は張らないよ。君に力があったら・・・」
「キーパーソンは弓子さんだって、市が認めて保険者証を出さないんだから、こっちこそ動けないんだよ。私は山口さんの意思で首になったんだから、もう私は関係ない人間なんだ」
「キーパーソンなんて誰が決めるんだ。市か、裁判所か。あの二人は憎み合っているのに。公然のことなのに。本人の意思は関係ないって言うんだな」
「だから、当事者同士で話し合うしかないんだ。キーパーソンが誰かなんて誰にも決められない。ただ、市はまじめな主婦の言い分を聞いただけだ。周囲もそれを願っている。弓子さんと都市ケアサービスに任せるいいチャンスだ。それすじなんだ」
「出ていけって言ってるの」
「そう言う選択もある」
男は乱暴に電話を切った。
また、騒ぎが起こる。葉子はつくづく思った。本当に男にどこかに出ていってもらいたい。
男は、山口シズエを車いすに乗せて市役所に行った。
男は、担当の吉田に、「人権侵害だ」とくってかかった。
吉田は、男の言い分を丁寧に聞き取った。しかし、近所からもシズエを心配する苦情の電話がかかっていた。吉田から見ても、見るからに怪しい男だった。
都市ケアサービスのヘルパーが気に入らないと訴えるシズエに
「キーパーソンの娘さんがそうしたいと言っているので市としても仕方がないんです」吉田は説得した。
都市ケアサービスが山口シズエの家に派遣したヘルパーは、牛乳瓶の底のようなめがねをかけた、まじめそうな青年だった。男は、追い返した。しかし、毎日あきらめずに来る。
男が居ないときに、家に上がり、シズエと話していることもあった。男は、何で入れたんだと怒った。
シズエは、勝手に入ってきたと言い訳をした。
「掃除すらしていないんだよ。ベランダの前で待っているだけなんだ。僕が居ないときに上がり込んで山口さんと話している。それで介護なのか」男は吉田にくってかかった。
シズエのケアプランは、都市ケアサービスでたてられ、その書類は弓子に送られ、弓子が一部負担金を払っている。市としては、認めなくてはならないという。
「七時に雨戸を開けに来てくれって言ったって、できないって言うんだ」
「入浴介助もあるんだし女の人がいい。だから事業所を変えたい」と男は吉田に言った。
「ヘルパーが百五十人も登録している都市ケアサービスで、ご希望に添えないなんておかしな話ですね」吉田は親身になって言った。
その話を事後に聞いたとき、葉子は笑った。
「都市ケアサービスのヘルパーでいいじゃない。うまくやって行けそうだね。意地を張ら
ずに、まず山口さんの利益を考えて。弓子さんと都市ケアサービスに任せて」葉子も男を説得した。
「女の人がいいって、ばあさんも言っているんだ。いやがらせだ」
「あなたみたいな不審者がいる家庭に、女が行くわけがない。強姦されてしまう。女をよこせって市に怒鳴り込んだんだ。市も大変だ」葉子は笑った。
「ちくしょう」男も思わず笑った。
「ばあさんは、むぎのヘルパーがいいって言っている。それだけだ」
「頼むから、むぎ介護サービスの名前は出さないで」葉子は懇願した。
「ばあさんが言うんだからしょうがない。僕は都市ケアサービスじゃなけりゃ、何処でもいいって言っている。僕だって面倒くさいよ。早くヘルパーを入れたい。でも、弓子が都市ケアサービスじゃなきゃいやだって言うんだ。こっちも意地になる」
「私はもう、関わり合いたくない」葉子は本音を漏らした。
「分かった。本当に君は薄汚い人だ。市が保険者証を出さないと言っている。都市ケアサービスじゃなきゃだめだって言っている。だったら介護保険なんか使わない」
男は言って、電話を切った。
男は、以前葉子がヘルパー達に渡す給与を見て、
「あんな介護に、君は高給を払っているんだ。じゃあ、僕の給与は一体いくらになるんだ」
と言った。ヘルパーの資格を取りシズエの介護を自分がするから、給料を払ってくれと言った。葉子は同居家族の介護は介護保険では認められていないと断った。
「僕は、他人だよ。泊まっているって言ったってここに住所もない。夜勤扱いだってでき
るじゃないか」男は葉子を説得した。しかし葉子は断った。男の希望は現実離れしている。
「他の事業所に頼んで」
その時も男と葉子は険悪になった。二人はいつも言い争っていた。
「本人の希望が聞き入られないのはおかしい」
「キーパーソンは娘さんです。市としてもどうしようもないのです」介護サービス課の吉田は気の毒そうに言った。
「そんな馬鹿なことがあり得るのか」男は葉子に聞いてきた。
葉子は今までの経験を語った。住み慣れたT市で暮らしていきたいと希望する、八十三才になる利用者が葉子の担当だった。一人暮らしの利用者は目も悪くなり、郵便物が来るたびに葉子を呼んだ。紛失物がでるたびに葉子を呼んだ。ヘルパーを週一回入れ、お使いと布団干しなどを頼んだ。入浴のためにデイケアを週に二日、利用していた。
「今日使った障害者手帳がない」と連絡が入る。朝の出来事から始まり、帰宅までの内容を聞くだけで一時間かかってしまう。葉子は駆けつけ、利用者の納得のいくまで探した。
病院に確認の電話を入れ、薬局に確認の電話を入れ、タクシー会社に確認の電話を入れ、
それでも見つからなかった。
「再発行できますから、安心してください」葉子は利用者に告げた。
「ただ、思わぬところから見つかりますから一週間だけ待ってください」
ヘルパーが布団干しをすると、その間から障害者手帳が見つかった。
以前、一人暮らしの姉を心配する弟から、部屋は空いているし一緒に住もうと連絡が入
った。ただ、弟の嫁が、
「お姉さんはいいけど、荷物はだめ」と言ったため、利用者は腹を立てて同居しなかった。
利用者の家の半分は、他人から見るとがらくたに覆われていた。その弟も亡くなり、利用者の身近な血縁は群馬の姪とその母に当たる要介護状態の利用者の姉だけになってしまった。
群馬に住む姪が、
「自分も年でどうなるか分からない。叔母を群馬に呼びたい」と葉子に連絡が入った。葉子もそれが一番いいだろうと判断した。
「ここにいたい。助けて。望月さん」利用者は葉子にすがってきた。
「姪御さんの意見も聞かなくてはなりません」葉子は言った。
「なんと言ってもおばさん。この人達は、お金で来ているのよ。最後に面倒を見るのは私なのよ」姪は言った。
利用者は、執着していた一切の思い出の品を処分してT市を去った。群馬の姪の知り合いの施設に入ったと聞く。
「年寄りの希望は、現実から離れたわがままも多い。いちいち聞いていたら身が持たないこともある」葉子は男に告げた。
「私もあなたと山口さんの同居が不安だ。本当に一生面倒を見ることができるのか」
「君はバランス感覚のある人だと思った。もし、山口さんが僕と一緒に暮らしたいと言って、それがうまくいかなくなったとしても、それは山口さんの責任だ」
「だったら弓子さんに任せた方がいい」
「女は後から、青春を返せとか、金を返せとか言ってくる。さんざん楽しんでおきながら。さんざん僕を利用しておきながら。どうして、いまさら何の損もないのに僕をじゃまにする。弓子が山口さんの面倒など見ないことくらい知っているくせに」
「弓子さんは恩人でしょう」葉子は男を諭した。
「まだ、誤解している。逆だよ。僕が弓子の恩人なんだよ。恩知らずは向こうなんだ」男は言った。
「何とか話し合いの機会をもてないかしら。あなたと弓子さんで」
「君もおかしな事ばかり言う。弓子と話すなと言ったり話し合えと言ったり」
「状況が変わったのだからしょうがないでしょう」葉子は弁解した。
「僕は、後藤弓子さんや後藤安男さんと話し合いたいと何度も言っているのに、二人とも会ってくれないんだ。亭主は僕のことをストーカーだと言っている。着信履歴を調べろと言ってやった。僕からは電話一本入れていない。喧嘩ではなく落ち着いて話を聞いてくれたのならあんな態度も取らないよ。向こうが僕を無視し続けるんだ。ばあさんや君に嫌がらせをするばかりだ。あんなまねしないで、僕と落ち着いて話し合ってくれれば、僕だって、出ていくよ。知らない仲じゃないんだから。今回だって事前に僕や君に電話を入れるのが当たり前だろう。そうしてくれていたら、こんなにも意地は張らないよ。君に力があったら・・・」
「キーパーソンは弓子さんだって、市が認めて保険者証を出さないんだから、こっちこそ動けないんだよ。私は山口さんの意思で首になったんだから、もう私は関係ない人間なんだ」
「キーパーソンなんて誰が決めるんだ。市か、裁判所か。あの二人は憎み合っているのに。公然のことなのに。本人の意思は関係ないって言うんだな」
「だから、当事者同士で話し合うしかないんだ。キーパーソンが誰かなんて誰にも決められない。ただ、市はまじめな主婦の言い分を聞いただけだ。周囲もそれを願っている。弓子さんと都市ケアサービスに任せるいいチャンスだ。それすじなんだ」
「出ていけって言ってるの」
「そう言う選択もある」
男は乱暴に電話を切った。
また、騒ぎが起こる。葉子はつくづく思った。本当に男にどこかに出ていってもらいたい。
男は、山口シズエを車いすに乗せて市役所に行った。
男は、担当の吉田に、「人権侵害だ」とくってかかった。
吉田は、男の言い分を丁寧に聞き取った。しかし、近所からもシズエを心配する苦情の電話がかかっていた。吉田から見ても、見るからに怪しい男だった。
都市ケアサービスのヘルパーが気に入らないと訴えるシズエに
「キーパーソンの娘さんがそうしたいと言っているので市としても仕方がないんです」吉田は説得した。
都市ケアサービスが山口シズエの家に派遣したヘルパーは、牛乳瓶の底のようなめがねをかけた、まじめそうな青年だった。男は、追い返した。しかし、毎日あきらめずに来る。
男が居ないときに、家に上がり、シズエと話していることもあった。男は、何で入れたんだと怒った。
シズエは、勝手に入ってきたと言い訳をした。
「掃除すらしていないんだよ。ベランダの前で待っているだけなんだ。僕が居ないときに上がり込んで山口さんと話している。それで介護なのか」男は吉田にくってかかった。
シズエのケアプランは、都市ケアサービスでたてられ、その書類は弓子に送られ、弓子が一部負担金を払っている。市としては、認めなくてはならないという。
「七時に雨戸を開けに来てくれって言ったって、できないって言うんだ」
「入浴介助もあるんだし女の人がいい。だから事業所を変えたい」と男は吉田に言った。
「ヘルパーが百五十人も登録している都市ケアサービスで、ご希望に添えないなんておかしな話ですね」吉田は親身になって言った。
その話を事後に聞いたとき、葉子は笑った。
「都市ケアサービスのヘルパーでいいじゃない。うまくやって行けそうだね。意地を張ら
ずに、まず山口さんの利益を考えて。弓子さんと都市ケアサービスに任せて」葉子も男を説得した。
「女の人がいいって、ばあさんも言っているんだ。いやがらせだ」
「あなたみたいな不審者がいる家庭に、女が行くわけがない。強姦されてしまう。女をよこせって市に怒鳴り込んだんだ。市も大変だ」葉子は笑った。
「ちくしょう」男も思わず笑った。
「ばあさんは、むぎのヘルパーがいいって言っている。それだけだ」
「頼むから、むぎ介護サービスの名前は出さないで」葉子は懇願した。
「ばあさんが言うんだからしょうがない。僕は都市ケアサービスじゃなけりゃ、何処でもいいって言っている。僕だって面倒くさいよ。早くヘルパーを入れたい。でも、弓子が都市ケアサービスじゃなきゃいやだって言うんだ。こっちも意地になる」
「私はもう、関わり合いたくない」葉子は本音を漏らした。
「分かった。本当に君は薄汚い人だ。市が保険者証を出さないと言っている。都市ケアサービスじゃなきゃだめだって言っている。だったら介護保険なんか使わない」
男は言って、電話を切った。
男は、以前葉子がヘルパー達に渡す給与を見て、
「あんな介護に、君は高給を払っているんだ。じゃあ、僕の給与は一体いくらになるんだ」
と言った。ヘルパーの資格を取りシズエの介護を自分がするから、給料を払ってくれと言った。葉子は同居家族の介護は介護保険では認められていないと断った。
「僕は、他人だよ。泊まっているって言ったってここに住所もない。夜勤扱いだってでき
るじゃないか」男は葉子を説得した。しかし葉子は断った。男の希望は現実離れしている。
「他の事業所に頼んで」
その時も男と葉子は険悪になった。二人はいつも言い争っていた。
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